2010年



ーーー7/6ーーー 腰痛体操


 
体型のせいか、仕事柄か、腰痛に悩まされる。昨年は、夏頃まで調子が良かったが、秋にちょっとした不注意から腰を痛め、それ以来グズグズと腰痛が続いている。

 腰痛の症状が悪くなると、仕事に差し支える。まさに死活問題である。ひどい痛みが出たときは、掛かりつけの鍼灸院へ行く。急性の症状なら、その対策が一番良い。問題は、慢性的な腰の痛みと、何時グキっとなるか分からないような不安定状態である。

 ぎっくり腰のような急性症状は、私の場合の前例では、言わば捻挫のようなものであって、鍼灸の対症療法で治る。しかし、慢性的な腰の痛みは、肉や筋に損傷があるわけでなく、原因は別のところにあるように思う。最近になって、それは姿勢悪さや体の使い方の不適切さに起因する、腰の周りのアンバランスによるものだと感じるようになった。

 数十キロの重さの上半身を、腰で支えているのだから、その負担は大変なものである。ほんの僅かな時間でも、無理な姿勢で偏った荷重が掛かれば、すぐに腰の周りの構造にダメージが来るだろう。つまり、重いものを持ち上げるなどの外的な要因以前の問題として、自分の体重で腰を痛めている可能性が有るというわけだ。そういう原因で腰痛が起きているのであれば、対症療法ではなく、根本的な体の改善が必要となる。

 ひどい腰痛を克服した友人から、「腰廻し」というものを教えてもらった。と言っても、実地にやり方を見せてもらったのではなく、言葉で説明を聞いただけ。腰に両手を当てて、左に100回、右に100回、さらに左右100回ずつ、合計400回廻すというもの。

 私はそれを、上半身が横を向くように廻す、つまり上半身を捻るのだと理解した。やってみたら、かえって腰の痛みがひどくなった。友人にその報告をして、やり取りをするうちに、間違った理解をしていた事が判明した。彼が言うには、フラフープを廻すときのように、上半身は正面を向いたまま、腰が円を描くように廻すのが正しいのだと。「腰を捻ったりしては最悪だ」と叱られてしまった。

 一方、マッケンジー体操というものがある。これは、昨年の一時期腰痛で苦しみ、その後優れた鍼灸師のおかげで全快した息子から教わった。腹ばいになった姿勢から、腕立て伏せのようにして上半身を起こすという運動。これを10回繰り返すのを1セットとし、1時間ごとに1セット行うのだと。

 これもやってみたら、かえって腰が痛くなった。それで止めてしまった。6月に息子が帰省したときに、その話をしたら、やり方がまずかったのだと指摘された。全身の力を抜いて、腕力だけで上半身を押し上げるのがポイントだと。腰や背中に力が入ってはいけない。そこが腕立て伏せとは違うとのことだった。

 かくして、いずれも誤りを乗り越えて、腰廻しとマッケンジー体操を行うようになった。腰廻しは、どこでも出来るが、時間を取られるのが負担ではある。友人は、テレビでも見ながらやれば良いのだと言った。マッケンジー体操の方は、時間が掛からない点が良い。1時間ごとにやるというのがせわしないが、私の仕事の形態なら、床にさっとマットを敷けば、いつでも簡単にできる。

 正しくやりはじめて、まだ3週間ほどである。劇的な効果は感じられない。でも、いささか改善されたような気もする。

 こういう健康活動は、即効性があるものではないから、効果を判断するのが難しい。これをやったから治ったのか、やらなくても自然に治ったのか。あるいは、別な事で気を使っているから良くなったのか。たまたま体調が上向いたのか、はたまた季節のせいか。科学実験のように条件を整えて実施し、再現性が確認できるものではないからややこしい。効果があれば励むが、無ければおろそかになるのは、人の性だろう。

 ともあれ、絶望的な状況の中、藁をも掴むような心境で始めた腰廻しとマッケンジー体操。こんなもので治るのかという気もするが、特に害が無ければ、ダメでもともと。これで治ったと言う人もいるのだから、しばらく続けて行こうと思う。



ーーー7/13−−− 遺される家具


 
東京の叔母が他界した。ここ数年体調が思わしくなく、今回も入院して手術を受けたばかりだった。その後の経過は良さそうに見えたが、突然急変して亡くなったとのことだった。その知らせを聞いて驚いたが、実は10日ほど前に本人から電話を貰っていた。

 以前は、年に何回か電話を貰ったものだったが、ここ2、3年はご無沙汰だった。今回は、まったく久しぶりという感じだった。話を聞いてみると、母に掛けようとして、間違えて番号を押したとのことだった。ついでに暫く、近況の話などをした。

 昔はとてもはっきりとした物言いの叔母だったが、この電話の声はひどく沈んで元気がなく、気弱になっている様子だった。築地のS病院で手術を受ける予定だと言った。私が、「S病院は昔馴染みでしょう?」と聞くと、記憶を辿るような声になって、「東京に嫁いできてからだから、もう50年以上お世話になっているのよ。あそこでダメになるなら、私は諦めるわ」と言った。

 それから、「收さんに作ってもらった書類入れは、今でも重宝して使っているのよ」と言った。その品物は、彼女の夫、つまり私の叔父が20年近く前に注文してくれた、引き出し式の書類キャビネットである。叔父はその後他界し、叔母がそれを引き継いで使ってくれていたのだった。

 叔母自身も、これまで机や椅子を購入してくれた。展示会には毎回のように来てくれ、さりげなく祝儀を置いていくのが常だった。私の仕事を気にかけてくれていたのだと思う。

 今から思えば、あの電話は私に別れを告げるものだったのかも知れない。

 ところで、叔母が所有していた家具は、従兄弟たちが受け継いでくれるのだろうか。こちらから余計な事は言えないが、そうなってくれれば嬉しいと思う。

 開業して20年。家具を収めた先の訃報に触れるケースが、ここ数年ポツポツと現れている。



ーーー7/20−−− ピアス改造


 ブログを見ている読者ならご存知と思うが、先月の末にアームチェア・ピアスの改造を試みた(6/21のブログ参照)

 改造のきっかけは、息子からのコメントによる。息子は教育実習のために2週間ほど我が家に滞在していた。彼は、以前からピアスの形について疑問を抱いてたようである。特に、アームの先端につけてある「マッシュルーム」の位置が気に入らなかったらしい。今回も、批判的なコメントを展開し。
(一枚目の画像はこれまでのピアス)

 息子の言い分はこうである。ピアスという名前は「突き通す」という意味を表す。この椅子の後脚の先端が、アームと背板を串刺しに貫いているところが、ピアスなのだ。それに対して、マッシュルームは前脚の軸からずれている。前脚とマッシュルームが一体ものではないにしても、軸を揃えることで突き通した印象が与えられる。後脚の構造に呼応して、前脚もそれらしい体裁にした方が良いのではないか。さらに言うならば、ピアスという名を持ちながら、マッシュルームが単にペタッと貼り付けてあるのがとても目障りだ。こんな感じなら、マッシュルームなど付けないほうが良い。

 実はマッシュルームは、丸ホゾでアームに固定されている。しかし、言われてみれば、取って付けた印象になっているのは否めない。

 息子の指摘に対して私は、全体の形のバランス、アームの間口、アーム先端の触感、などの諸点を勘案して、このような形になったと説明した。マッシュルームの位置をずらすだけでも、せっかく構築された秩序が狂うのだと。

 それでも彼は引っ込まない。欧米のデザインは、こういうところのコンセプトを大切にする。ピアスという概念を与えながら、中途半端な部分があるのは、統一感を欠いた、行き当たりばったりのやり方である。国内の下らない作品に共通する欠点は、そのような不統一感である、と。

 ずいぶんな言われ方だが、真剣に言ってくるので、こちらも軽く受け流すわけにも行かない。

 そもそもマッシュルームが必要なのか、という話にもなった。私の主張は、後脚の構造に特徴的なものがあるので、前脚サイドにも多少のアクセントが必要だと考えた。マッシュルームの形態は、平面からポッコリ飛び出した凸であり、サイズは違うけれど、後脚先端の凸と通じるものがある。それが、デザインとしての統一感になっている。そして、マッシュルームは手触りが良く、使用感にも寄与する。ともかくこのマッシュルームは、画期的な発想である。国内で、これを採用した椅子の例は無く(少なくとも私が知る範囲では)、その意味でも斬新である。

 マッシュルームに対して懐疑的な息子は、海外では類例が有るのかと言った。私は、米国のシェーカー家具の椅子にそのような例があり、自分はそれの真似をしたのだと言った。こんなものを、私如きが自分で発明できるはずが無い。

 結局議論は物別れに終わり、息子は実習を終えて大阪に帰って行った。

 私はピアスの形に自信を持っていた。しかし、あれこれ言われて、気になりだした。そこで、オリジナルのマッシュルームはどのような配置になっているか、シェーカー家具の図録を調べてみた。そうしたら、どのケースも、前脚と同軸上に設置されていた。それを見て、急に自信が揺らいだ。

 そこで今回の改造が実施されることになった。マッシュルームを前脚の同軸上に据えた。それに伴い、アームの形も変えた。さて、全体の印象はどうか(下の画像)。

 見た目の納まりは良くなったと思う。軸を揃えたら、確かに「ピアス」な印象になった。無難な形になったとも言える。しかし、これまでのを見慣れている目からすれば、ちょっと無理をして整えたような感じもある。無理に礼儀正しくしている「良い子」のような印象か。もっともそれは、製作者自身のわだかまりから生じる印象かも知れない。別の見方もあるだろう。ところで、座り心地をはじめ、使用感はほとんど変わらない。

 今回の改造の主眼は、マッシュルームの位置に端を発した、アーム先端部分の形状であったが、同時に背板の厚みを薄くすることも試みた。こちらの方も、良い効果が得られたように思う。背板周りが軽い印象になり、後ろへ引かれがちだった重心の位置が、若干前寄りになったと感じる。もっともこれも、視覚的な意味だけであるが。








ーーー7/27−−− ソーダのいろいろ


 数年前から、自宅でビールを飲むのを止めた。それまでは、ビールづけのような生活だった。独身寮でのビール合戦(月間の消費量を競う愚かな戦い)を皮切りに、ビールを一本も飲まない日は、一年間で一日も無いほどで、それが30年近く続いた。

 ビールを止めようと思い立ったのは、健康を考えて、つまり肥満防止のため。それに加えて、発泡酒などの新種が次々と登場する中、メーカーの販売戦略に嫌気がさし、ビールに魅力を感じなくなった事もあった。

 長年に渡って習慣化したビールを止めるには、代わりのものが必要だった。私にとって、ウイスキーのソーダ割り、いわゆるハイボールが、その代用品となった。今ではハイボールが大いに流行っているようだが、ほんの数年前までは忘れられたような存在であった。 

 ハイボールは、ソーダの泡が爽やかな飲み心地を与え、ビールに似た感触がある。夏の暑い日の夕方、仕事を終えて飲むビールの口当たりは、実に爽快なものだが、ハイボールにもそこそこの清涼感はある。一度それに気が付けば、ビール無しでもしのげるようになる。ハイボールは、アルコール濃度を自分で調整できるのも良い。ビールは、ある程度の酔いを求めるなら、腹が張っても飲み続けなければならないが、ハイボールは、少量で酔いたければ、濃く作れば良い。夏と冬で濃度を変えるたりもする。冬は一対一くらいにし、夏はそれよりソーダを多目にする。

 ウイスキーにうるさい人の中には、ハイボールなど邪道だと言う人もいる。ウイスキーは薄めずに飲むのが正しいのだと。しかし、ウイスキーも酒である。味や香りを楽しむだけでなく、心地よく酔うということも大きな部分である。この年齢になると、ウイスキーをストレートで飲むことは、チビチビやって品質を愛でるには結構だが、酔いに至るには少々ヘビーである。

 さて、長年に渡り、毎晩ハイボールを飲んできたわけだが、ソーダの品質には無頓着だった。そもそも、ソーダに品質の違いがある事など、知らなかったのである。

 最近になって、友人からペリエなるソーダがあることを聞いた。フランス製のソーダで、天然水に炭酸ガスが含まれているものであり、世界的に評判の高い品物とのことだった。ネットで調べたら、きめが細かい泡の口当たりが、絶妙な飲み心地だと書いてあった。

 さっそく取り寄せてみた。冷やして飲んでみたら、第一印象は、石っぽい感じだった。硬水だからミネラルが多く、そんな印象を与えるのだろう。そして、確かに泡が細かくて、ふんわりとした豊かな味わいであった。それまで愛飲してきた、国産のソーダと比べると、炭酸の刺激が少ない。だから飲みやすい。そして、後味が良い。国産のものは、なんとも味気ないが、このペリエは無味無臭なのに、そこはかとなく味がある。勧めてくれた友人は、「ペリエは冷えてなくても美味い」と言った。車の中に置いてあって、冷えてない状態でも、抵抗無く飲めると。この品質なら、それも理解できる。国産のソーダだったら、冷やさずに飲むことは苦痛だろう。

 画像の左端が、これまで飲んできた国産のソーダ。二番目がペリエの缶。三番目がペリエの瓶。

 新しいソーダとの出会いは、私よりも家内の関心を引いたようだった。家内はほとんど全く酒類を飲まないが、このソーダに関しては、大いに興味を持ったらしい。ネットでいろいろ調べて、少しでも安いものを探したら、ある販売元の瓶入りペリエが安かった。それで、瓶のものを取り寄せた。

 さらに彼女の探索は続く。イタリア製の、サンペレグリノというソーダが、もっと安く手に入ることを突き止めた。今度はそれを取り寄せた(画像の四番目)。そのソーダは、やはり天然水なのだが、炭酸の濃度が低かった。よく言えば飲みやすいが、悪く言えば刺激が少ない。ペリエと比べると、物足りない気がした。

 次に見つけたのが、同じくイタリアのサンベネディット(画像の五番目)。これは、サンペレグリノよりも炭酸濃度が高いというキャッチフレーズだった。要するに、そういう評価が出回っているのだ。炭酸が濃すぎて飲みにくい、逆に薄すぎて物足らない。そんな品質の差を消費者が理解し、自分の好みに合ったソーダを購入するというのが、あちらのやり方なのだろう。これもネットを通じて購入した(通販地獄の様相を呈してきた)。はたしてこのソーダ、確かに少し炭酸が濃いようにも感じられたが、それほど明白なものではなかった。それでも単価(体積当たりの価格)には、かなりメリットがあった。

 最後の右端のものは、この地の大型スーパーの広告に載っていた品物。品質は私がこれまで飲んでいた国産品と同じようなもので、何の特徴も無い。しかし、格段に安い。値段だけで見れば、究極のソーダのように思われた。

 外国では、レストランで食事をする際に、ペリエなどのソーダを、ビールやワインの代わりに飲むことがあるらしい。国内でも、フランス料理やイタリア料理のレストランでは、外国製のソーダを置いているところが多いようだ。国産のソーダでは、それだけをグラスに注いで飲む気にはならないが、上に述べた製品であれば、料理の供に相応しいと思う。

 家内はすっかり外国産のソーダが気に入ったようである。私も、ソーダ自体の品質は、外国産の方が高いと思う(値段も高い)。しかし、ハイボール用としてはどうだろうか。ある程度炭酸の刺激がないと、ウイスキーに負けてしまう。つまり、ハイボールが弱々しくなる。国産のソーダの、安っぽくて刺々しい炭酸の刺激は、単独で飲むには味気ないが、ウイスキーに合わせるには丁度良いようにも思う。ビールだって、炭酸濃度は極めて高い。ゲップが出るほど炭酸が強いから、飲み応えがあるのだ。あれがペリエのように上品だったら、気が抜けたビールということになろう。

 ともあれ、ソーダと言っても、いろいろあるものだ。贅沢ではあるが、手元に揃えて飲み比べれば、結構楽しめる。この夏は、飲みすぎてしまうのが心配だ。


 






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